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2005年12月23日
保坂和志『小説の自由』
保坂和志の『小説の自由』を読んでるんだけど、色々とものを考えるきっかけになることがほんとにたくさん書いてあってもの凄く刺激的です。
音楽のことと擦り合せて考えることもできる(「見る」ことについて書かれてるあたりは大友さんの「聞く」ともあわせて考えたいと思った)し、小説の読み方ついても勿論色々と考えさせてくれる。あと「あ、この本読みたい」と思わせることが多いところもいい(これはぼくの中では良書の条件のひとつ)。しかも「読みたい」と思わせる本に持ってる本が多い(というか積読にしてある本が多い)というところもいい。
実際「積読本を読むきっかけ」を与えられる、っていうのは結構嬉しいことで。
こないだ古川日出男のインタビューを読んだら、「直感で買って数年後に読むと、直感を二段階ふむのではずれがない」ってなことを言ってたので「なるほど!」とか思ったのですが(積読を正当化されて嬉しかったともゆう)
まあ、まだ読みかけなんだけど、クロード・シモンの『フランドルへの道』の話をしてるあたりで、本から得られる高揚というのは読んでる間がピークであって読み終わってしまうと何割かしか残らない、みたいな話が出てくるので、読みかけの高揚感をお伝えしようと思った次第。
で、今読んでて「おお!」と思ったフレーズを引用しますと、(カフカの『城』は何度読んでも完全には記憶できない、という話で)
――しかし、やっぱり私は『城』をもっと記憶するまで読まなければいけないのではないか。クラシック音楽のファンだったら、四、五十分ある交響曲の全体を記憶している曲が一つか二つあるのではないか。それなのどうして小説の方は一回や二回読んだだけで「読んだ」ことになってしまうのか。小説をもっとずっと音楽の受容の仕方に近づけることが、小説を、批評という小説とは似ても似つかない言葉から自由にすることなのではないか。
『重力の虹』を3回続けて(英語で)読むと、その次に読んだときには冒頭からもうガツンと鮮明で感動するらしい、なんてことが書いてあったんだが本当だろうか。残念ながらぼくにピンチョンを原書で読むってのはちょっと荷が重過ぎるけど。
や、訳は一応読んだんだけど、凄い時間かけてダラダラ読んじゃったから全然内容はおぼえてないんだよな。もっかい読もうかなあ。そういえば『V.』も読み返したいってこないだ思ったとこだったんだよなあ。ていうかエリクソンも読み返したいしなあ。いや、でもここはやっぱシモンをいっときたいよなあ。
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投稿者 junne : 2005年12月23日 23:59